相手の立場になって考えるって燃費悪い?
YouTubeは精神疾患の者にとってはありがたい教材だと思う。
私と同じ壁にぶちあたりまくってる人の声に応えようとして配信をしてくれているから。
精神科医やカウンセラー、当事者の声から
学ぶことは多い。
似た考え方の当事者の声には本当にそうそう、そうそう、と共感して、自分だけじゃないのねと一時救われる。
精神科医の講座的な配信では
自分の考え方の癖をズバリ言い当てられているのでむず痒いくらいだ。
これを話しているYouTuber先生本人は、深いところで私の性格とはまるで違う気がするのだ。
違うのに、自分のような性格や考え方を理解している。
『そういえば、なんで、この人私のことこんなに分かるの??』
勉強と臨床における観察の賜物なんだろう。
たくさんと人と対話し、言動とその奥にある心理を観察して整理してきたからなんだろう。
私は、
小さい頃から相手の立場に立って考える、というのを自分に課してきた。
理由やきっかけはわからないけれども。
その際に、
「もし自分が相手の状況に立ったらどう思うか」
と考える。
これの欠点は、
『考え方の癖が自分のまま』
相手の靴を履いてるだけなので、
結果的に相手の立場に立つなんてのができてないのだ。
『立場』という言葉の背景には、相手の過去や現在の体調、ご機嫌やらも含まれるので、
そもそも相手と同じ靴を履けてるのかも怪しい。
『自分というフィルターを通して』相手の立場になって考えるのはとんでもなく無意味な修行なのかもしれない。
また、その分析よって自分の行動を制御すること、
つまり、相手の顔色をうかがいつつ、自身の行動を決めること、
を虚しく感じているとしたら
うわ、これは燃費悪いわ、自分
と腑に落ちました。
それこそYouTube見てると、人間をさまざまなタイプに分けて攻略するものが、関連動画で出てくる。
自分はこれだ、
あの人はこれだ、
みたいに見てると面白い。
その人なりに、一段上から人の反応を観察して分析した結果なんだと思う。
人の顔色うかがっても意味がない、
これはよく言われるし、分かっているし、でも実践できないから困っている。この事実は変わらない。
自分フィルターを完全に取り除くのは無理なのだが、
上記で述べたように、燃費悪いことが『納得できた』だけでも
今日はひとつ収穫があったということで。
特に他人の失敗に対してどう反応するかなんて、
知らされた方の状況次第な気がする。
体調、機嫌、その一件の重要度や難易度、切羽詰まり具合、本人への影響度。
知らせる場合、より良いタイミングを見計らおうとあれこれ考えてしまうのは癖なので仕方ないが、燃費悪いな、とこれからは一呼吸置くことにしよう。